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2016 次回公演へむけてその1

~槙ちゃん日記 その1~

日記を、書いていないくせに回す…、正に右から左へ受け流す。

去年からこんなことばかりやっている槙でございやんす。大変失礼しております。

今回の公演稽古に何度も日記が回ってきたのですが、その度に人には回すものの、自分は書かないということを3、4回しました…。
私から流されてきたものをちゃんと受止めてくれた方に、この場を借りてお詫びとお礼申し上げます!

さて、
第53回公演終了ー!
ということで、この日はほぼ全員集合で反省会をしました。
反省のあとは、頂きものを配りあったり、後処理のやり取りなどワイワイしたり。
本番前もそうでしたが、みんなが集まると嬉しいな~

個人的に振り返ると、今回すばる初の秋公演で、私は主人公の妹という役をいただきました。
最初の頃、姉さんから一言。
「実は一番出ずっぱりの役かも。」
...あれ?確かにそういえば、稽古中、観る側として席に座ることがないぞ?
誰かが休みだから、気晴らしに代役…って機会もないぞ?
あれ…台詞が多いぞ!?
全く台詞が入っていない、ぞ!!

そんなあれれを抱えながら過ごした稽古の日々でした。

この台本を台本選びの候補として読んだときから思っていたのが、菊子と栗子と、自分はどっちの気持ちもわかるということです。
姉妹の立場という面以外で、菊子の優柔不断なところと親姉妹へのコンプレックスを持っているところ、栗子の何にもなれないという気持ち。自分の嫌いなところが似ていて、今思えばそれに向き合わざる得なかったのが今回の公演稽古で一番辛かった面かも。

(余談ですが、面白かったのが私の実妹の感想。
「栗子ってお姉さんみたいな妹だな~。対して菊子グダグダしてて、うちの姉みたい。でも姉は栗子役で、でも栗子は妹で、でも私の姉じゃん!でも本当の妹は私で…?」と混乱していたらしいです笑)

そんな中今回の舞台の稽古で学んだ部分の話。
「芝居にはウソがある。」と何度か先輩方から御指導いただいておりますが、とても考えさせられる言葉です。
私はウソは嫌いです。世の中には息を吸うようにウソを並べ立てる人がいますが、それが大嫌いな私にとって、その言葉はなかなか受け入れ難いものでした。

しかし、稽古や公演を重ねる中で、少しずつ自分なりの解釈ができるようになってきました。
前回の冬公演・実質初出演で痛感させられたのが、
「お客さんが入ってはじめて舞台が完成する」
ということでした。
観てくれる人がいる。だから伝えたいと思える。そして表現しようとする。
「じゃあ、どうやったら伝わるんだろう」って考えるようになる。
っていう↑コレってその過程の中でいつの間にか自分本意じゃなくなっていくんですよね。観客目線・観客本意になっていく。自分の目線からいつの間にかズレてる。
心は自分発で目線はお客さん目線というか。
具体的に挙げれば、落ち込んでるときって私は俯いて無言で無表情になるけど、舞台上ではそうはいかなくて、落ち込みながら顔を上げて台詞を言わなきゃいけない。
その矛盾。
その矛盾の穴埋めをするのが稽古で、指摘されてその処理を心の中で葛藤するのが役者の裏の部分なのかなと。
それが、「芝居にはウソがある」という言葉に繋がっているのかなと思うようになりました。

このことを文章にしたくて、でもまとまらないから日記書けなかったのですが、結局まとまってないような…?

あと、新たに役者が面白いと感じた部分が本番にあって、
姉妹の別れのシーンで、両日とも私は涙を流してしまって、(録画で観たら照明で白とびして、はたから見たら泣いてるってわからないですね)本番中に「私、こんなにたくさんの人の前で泣いてるんだぁ~」って頭の隅で思っていたのですが、普通泣くとき人前を避けるのに、でもこのときは人前で涙を流していることを恥ずかしいという気持ちはどこかへ行ってしまってて…。それが自分の中で印象に残っていて、すごく「不思議だなぁ」と思いました。
今はその気持ちをうまくほかの言葉に換えられませんが、役者の魅力をまた一つ発見できた気がします。


ほぼほぼ自分の感想の話になってしまいましたが、
次回からは気持ちを切り替えて、早速ですが次回公演に向けて始動です!
来年はどんな公演になるのかな♪
by tonamisubaru | 2016-09-15 06:20 | 練習

富山県砺波市のアマチュア劇団日記です。


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